「平成の三四郎、一本背負いは永遠に」

「平成の三四郎、一本背負いは永遠に」

2021年3月24日、柔道家でバルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリストの古賀稔彦さんが癌のため、亡くなりました。享年53歳です。

ネット上にあったコメントをまとめました。

203連勝のまま引退した現在の全日本柔道連盟会長・山下泰裕さん

今朝、古賀稔彦さんがお亡くなりになったと報が入りました。最初は全く信じられませんでした。大変大きなショックを受けております。柔道界にとって、貴重な存在を失いました。彼自身も柔道界でもっともっとやりたかったことがあったのではないかと思います。

古賀稔彦さんは、「平成の三四郎」とも呼ばれていました。軽量級の身体で重量級の選手とも正々堂々、真っ向から闘う姿勢は、忘れられません。1990年体重無差別の全日本選手権で決勝まで勝ち上がり小川直也さんと闘った姿をはじめ、1992年バルセロナオリンピックの直前において膝の怪我をし、克服して優勝した姿を見て、私は現地で「これは奇跡が起きた」と思いました。

心技体の全てにおいて突出しておりましたが、その中でも心が非常に大きな選手でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

山下さんのコメントにもあった階級の無い大会で熱戦を演じた対戦相手・小川直也さん。古賀さんとは同級生です。

高校時代からの付き合いなので、非常に残念です。本当にショックです。以前から病気の状況は聞いていましたけど、まさか亡くなるとは思いませんでした。今月、電話でも話しましたし、治ったら快気祝いに行こうと約束もしていました。ついこの前話したばかりなので、心の整理がつかないです。約束を果たせなかったのは残念。心からご冥福をお祈りいたします。

オリンピック5大会で金メダル2個、銀2個、銅1個の谷亮子さん

突然の訃報に接し、もうお会いできないと思うと悲しすぎます。
現役時代は世界中のファンの皆さんを豪快な一本背負いで魅了し、
感動させてくれましたし、指導者になられてからも全国の子供たちや多くの方々に
広く柔道の素晴らしさを伝えられ、普及発展に多大な貢献をされてきました。
最も尊敬する柔道家であり、常に柔道界に新しい風を吹かせてくれた方です。
古賀先輩との思い出は数え切れない程ありますが
私が中学生の頃からバルセロナ五輪等の大会に一緒に出場し、
いつも「亮子、亮子」と言って可愛がってくださった姿が忘れられません。
「平成の三四郎」古賀先輩の優しい笑顔と迫力ある柔道は輝き続けています。
ご冥福をお祈りいたします。
谷亮子

オリンピック3連覇の野村忠宏さん

バルセロナ五輪で、古賀選手がケガをかかえながら不屈の闘志・豪快な柔道で金メダルを獲得した姿を見た瞬間、私にとって憧れの選手になりました。同じアトランタ五輪では、柔道日本代表として協議に取り組む姿勢や厳しさを身をもって教えていただいた尊敬する大先輩です。指導者としてもまだまだ柔道界を盛り上げてほしかったし、平成の三四郎の早すぎるご逝去がいまだに信じられません。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます

「金メダルを獲ったら先生に抱きつきたい」をアテネオリンピックで果たした愛弟子の谷本歩実さん

突然の訃報に接し驚いています。とても熱血漢で良い指導を受け、感謝しております。思い出は尽きませんが心よりご冥福をお祈り申し上げます

バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト・吉田秀彦さん

古賀先輩の訃報を聞き、今はただ驚きと、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。最後まで奇跡を信じていましたが叶いませんでした。今の私があるのは、古賀先輩のお陰と言っても過言ではありません。

私は中学3年生の時に講道学舎に入門しましたが、古賀先輩は柔道が弱かった私を付き人に指名してくれました。それからは練習はもちろんのこと、私生活でも常に行動を共にしていただいたことで、柔道の技術的にも、精神的にも強くなれました。

バルセロナオリンピックでは、怪我で柔道が出来る状態ではなかった古賀先輩が優勝した瞬間、私が金メダルを取った時以上の喜びを感じました。古賀先輩が見せたあの精神力は、今も私の支えとなっています。二人で勝ち取ったバルセロナオリンピックの金メダルは一生の宝です。

現役引退後は、更新の指導や子どもたちへの柔道普及活動など柔道界の発展に尽力された古賀先輩に、私から人生の金メダルを贈らせていただきます。ご冥福を心よりお祈りいたします。

熱くて、優しくて、周囲に気を使って…、お人柄がどの方のコメントからも伝わってきます。
特に吉田さん。『二人で勝ち取ったバルセロナオリンピックの金メダルは一生の宝です。』は、当時、経緯を見ていましたし、私にはご本人の本当の気持ちまでは分からないかもしれませんが、心に沁み入る言葉です。

友人に誘われて、高校の柔道の大会を見に行ったことが有ります。
僅かな記憶を辿ると、確か日本武道館で、春休み、団体戦だったと…、調べると、1985年の第7回全国高等学校柔道選手権大会だと思います。
薄い記憶とは違い、鮮明に覚えているのは、「古賀選手の一本背負い」。
多くの試合が判定や技ありで決まっていく中、古賀選手だけは一本勝ち。
他の高校生選手とは、レベルが違いすぎました。よくある”オトナとコドモ”と言う表現では足りない、適切な表現が見つからないくらいで、36年経った今でも忘れられません。
時々、動画を見て、勇気をもらいたいと思います。